シリコンバレーの視察旅(前編)、デジタル変革の先導役としてのシンギュラリティ・ユニバーシティ

2017.08.22
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今日、インターネットからは多彩な情報を得られます。SNSからも様々な情報が流れてきます。たとえそうであっても「百聞は一見にしかず」、現地でしか分からない“空気感”があることは間違いありません。加速するデジタルイノベーションの震源地である米シリコンバレーで何が起きているのか−−。それを知り感じるために2017年8月最初の週に視察してきました。そのエッセンスを3回に分けて報告します。今回は、是非とも訪問したかった「シンギュラリティ・ユニバーシティ」に焦点を当てます。

シンギュラリティを提唱したKurzweil氏らが設立

まず「シンギュラリティ(Singularity)」についてです。本来は、平均などからかい離した「特異点」を指す科学用語です。それが最近では「人間の知的能力を超える人工知能が誕生し、それ以降は人工知能が技術進化(や社会変化)を引き起こすため、何が起きるかは予測不可能になる」ことを示す概念として知られています。この概念を提唱し、2045年がその年であると予測したのが、未来学者として知られるRay Kurzweil (レイ・カーツワイル)氏です。

シンギュラリティ・ユニバーシティ(SU)は、そのカーツワイル氏と起業家であるPeter Diamandis(ピーター・ディアマンデス)氏が主導して、2008年に設立された教育機関であり、シンクタンクです。「シンギュラリティに向かう原動力は(想像を超える速さで)指数関数的に進化するデジタル技術(Exponential Technology)である。それを生かして人類に貢献する」といった高尚な目標を掲げています(写真1)。


写真1:シンギュラリティ・ユニバーシティが基本原理とするエクスポーネンシャル・テクノロジーを示す図。縦軸は対数である

“大学”と称してはいますが、NASA(アメリカ航空宇宙局)が持つ研究所の建物を校舎として使っており、独自のキャンパスはありませんし学位も授与しません。したがって一般の大学とは違います。一方で普通の民間企業ともNPO(非営利団体)とも違います。

では何なのかというと、「認定されたB(ベネフィット)コーポレーション」兼「Bコーポレーション」と呼ばれる、「世界の中で競争する(Compete in the world)のではなく、世界のために競争する(Compete for the world)」という新タイプの組織です(写真2)。Bコーポレーションは日本ではまだ珍しい組織形態ですが、欧米ではすでに相当数が存在するようです。


写真2:「B(ベネフィット)コーポレーション」は、株式会社ともNPO(非営利団体)とも異なる

人類の大きな課題をエクスポーネンシャル・テクノロジーで解決

シンギュラリティ・ユニバーシティでは、米Deloitteや米Google、米Autodeskなどから資金支援を受けつつ、企業のエグゼクティブ教育や12に及ぶテーマの研究、ベンチャー企業のインキュベーションなどの事業を手がけています(写真3)。


写真3:シンギュラリティ・ユニバーシティの実績。教育プログラムの受講者は3万人近い

取り組みのユニークさを象徴するのが、写真4に示すミッション・ステートメントでしょう。前述したように「Humanity`s Grand Challenges(人類の大きな課題)を解決するために“エクスポーネンシャル・テクノロジー”を駆使するよう(企業や組織の)リーダーを教育し、刺激し、エンパワーする」と書かれています。


写真4:シンギュラリティ・ユニバーシティのミッション・ステートメントと12の普遍的なチャレンジテーマ(下段)

では人類の大きな課題とは何でしょうか?それが12のテーマです。列挙すると(1)災害耐性(気候変動)、(2)エネルギー(代替エナジー)、(3)環境(きれいな空気、土壌)、(4)食料、(5)グローバルなヘルス(健康)、(6)ガバナンス(政府など統治機構)、(7)学習、(8)繁栄(貧困)、(9)シェルター(住居など暮らす場所)、(10)セキュリティ(安全性)、(11)宇宙、(12)水、です。

こう聞くと、NPOやNGO(非政府組織)のようなイメージが強くなり、相対的にビジネス色が弱まる印象ですが、そうではありません。シンギュラリティ・ユニバーシティで渉外担当の責任者を務めるPeter Wicher氏は、次のように説明します。

「これらのテーマはすべての人々に関わりますから当然、企業にとっては極めて大きなビジネスチャンスになります。例を挙げましょう。12の中でガバナンスはテクノロジーやビジネスとは無関係に思われるかも知れません。しかし例えば世界的に大きな問題である不正投票に対し、ブロックチェーン技術を適用して価値を創出しようとするスタートアップがあります。学習や水も同じで、大きな価値につながります」(写真5)。


写真5:シンギュラリティ・ユニバーシティの渉外担当責任者のPeter Wicher氏。日本在住経験もある元半導体技術者です

大手企業のCXOに対し、6日間の集中教育を提供

シンギュラリティ・ユニバーシティに注目すべき理由の1つが、ミッション・ステートメントにもある企業のCXO(経営者層)向けの教育プログラムである「エグゼクティブ・プログラム(Executive Program)」です。エクスポーネンシャル・テクノロジー、つまり指数関数的に進化するITの意味や活用を6日間の集中講義で学びます(写真6)。受講料が1万4500ドルにも関わらず大人気で、実際、申し込みページを見ると、今年の9月・10月・11月の開講分は既に満席です。


写真6:Executive Programで学ぶことの全体像。「テクノロジーが変化への触媒である」ことの意味がよく分かる

その理由をWicher氏に尋ねると、「(経営陣が)これまでの考え方に囚われているままでは、企業がデジタル変革を成功させることは困難です。考え方を変えなければなりません。このプログラムによって、それが可能になるのです」という答が返って来ました。本当のところはどうなのか。ビジネスSNSのLinkedInをチェックすると、欧米企業のエグゼクティブが何人も自身の体験を綴っています。少し長いのですが、ある受講者のブログを引用してみましょう。

 エグゼクティブ・プログラムに参加する意義は、Peter Diamandisや Ray Kurzweil、Salim Ismailなどの刺激的な人物に直接会えるだけではない。30カ国から来た様々なCXOと過ごせたのは、本当に稀な体験だった。参加者の半数は、自社、自分をイノベートするための示唆を得るために来ており、もう半分はすでに破壊的なリスクに直面する企業に在籍しているが、しかし適応のための明確なアイデアを持っていないから来ている。これに気づいたのも面白かった。

 プログラムは、初日である日曜の午前に、指数関数的な成長の概念(the concept of Exponential Growth)とムーアの法則があらゆる場所に広がっていることを、我々のマインドに浴びせることから始まった。午後には、そんな対数グラフを少なくとも70回、異なる講義の中で見ることになった。しかし後に、それらさえ次に学ぶことに必要なイントロにすぎなかったことを理解することになる。

 月曜から金曜までは、日常生活から隔離された。朝食から夕食後まで電話やメールが存在することさえ考えられないほどだ。講義内容を列挙すると、将来の予測やICT、自動運転車、グローバルグランドチャレンジ、デザイン&プロトタイピング、AI、神経科学、デジタル生物学、医薬、仕事の未来、指数関数組織、ナノテクとデジタル製造、AR/VR、収益の加速、スタートアップ&オープンソースイノベーション、エネルギー、企業変革、環境、宇宙、プライバシー、行動経済学、セキュリティと犯罪・・・と広範囲に及ぶ。これらに関する講義と議論に、完全に浸されるのである。すべて深い感銘を受けるだけの構成となっており、それぞれの専門家が担当する。極めて刺激的だったと断言できる。

 ここに休憩中の会話も加わる。非常に真剣な日中の講義を終えたある夜、私を含む数人はシンギュラリティ・ユニバーシティの創設者の1人と、午前3時まで続いたほどのアメイジングな議論に熱中した。こうした会話も含めて、本物のGeekが価値を認めるほどの圧倒的なテーマをカバーしたのである。  

 (講義だけではなく)ガジェット好きにもいいニュースがある。シンギュラリティ・ユニバーシティには最もクールな最新のデバイスを好きなだけ試せるラボがあるのだ。ドローン、ロボット、VR、3Dプリンティング、センサー・・・などだ。市販されていない機器さえも、ここにはあり、試すことができる。  

 プログラムに戻ると、私は講義内容を未来像を主体に構成されたものだろうと予想していた。講師が10年、20年、あるいは40年後に起こるかも知れないクレイジーなビジョンを、参加者に投げかける形式の講義だ。実際には、そうした内容は非常に少なく、多くの時間は今、起こりつつあることや、企業(たいていはスタートアップ)がすでに市場に投入したか、少なくともプロトタイプがある実例について語られた。長期的な将来に起こり得ることは、Q&Aにおける材料として使われた程度である。

 私は自分をGeekの1人であると思っており、だからAIやロボティックスに関する講義には驚きは少なかった。そんな私にとっても詳しくは知らない事柄に関する講義は目を見張る内容であり、それはプログラムの80%を占めていた。誇張なしに、世界を再活性化するビジョンといくつかの技術革新が私たちを取り巻くすべてを深いところから変えつつあることに熱中したと断言できる。

 (プログラムは)あたかも異なる世界の可能性を見るための特別なゴーグルを装備するようなものである。そして卒業後に、プログラムの最初に聞いたことを理解することになった。私たちは、すべての答を得て卒業したわけではない。しかし正しい問いを発する方法を学んだことを、である。

「Global Solutions Program」でスタートアップを生み出す

Executive Programは企業幹部向けですが、これとは別にスタートアップを生み出す「Global Solutions Program(GSP)」というプログラムも、シンギュラリティ・ユニバーシティでは実施しています。Wicher氏は「毎夏、世界中から90人の起業家を集めて10週間のプログラムを実施し、秋に審査してベストな案件に投資します。シンギュラリティ・ユニバーシティが独自のスタートアップを作っているわけです」と話します。

シンギュラリティ・ユニバーシティのミッションからすると、GSPが本命に近く、当然、シンギュラリティ・ユニバーシティのミッションに沿った事業企画が求められます。具体例をWicher氏に聞いてみました。

「今年のGSPのテーマは気候変動です。あるチームは世界中の海で厳しい状況にある珊瑚礁の再生につながる事業を検討しています。世界中の珊瑚の状態をモニターできるようにするプロジェクトです。というのも世界最大の海洋研究機関でも200ほどの水槽しかなく、データは不十分。しかし政府などの資金には限りがあるので、それより多くの水槽を運営して環境変化をモニターするのは困難でもあるからです」

この難題に対してチームは、世界の様々な海水を再現できるミネラルの組成を持っていて、様々なセンサーで珊瑚の状態をモニターできる水槽を広く一般に販売することを考えました。多くの個人や企業が購入すれば何万もの水槽からデータを取得できるようになるからです。ですが、どうやって販売するのでしょうか?

「ポイントは“購入した水槽は地球規模の珊瑚再生研究の一部です”といって売り込むことです。もちろんインテリアにもなります。このアイデアが素晴らしいのはセンサーの価格や通信コストの劇的な下落をうまく利用している点です。大規模なデータを集めて分析することも含めて、エクスポーネンシャル・テクノロジーを上手く使うアイデアです。誰でもが研究に参加できるという点も素晴らしく、まさにシンギュラリティ・ユニバーシティが求める案です」(Wicher氏)。

答を聞いてしまえば「そんなことか」と思いがちですが、これまでは不可能だったことも確かです。

選び抜かれた人材がアイデアを競い、資金を得て起業する

ところでGSPに参加する90人はどうやって集めるのでしょうか?方法は、(1)シンギュラリティ・ユニバーシティが実施するアイデア大会(Global Impact Competition)で勝利する、(2)起業家としての経験や技術スキルなどを自己申請して承認される、の2つがあります。

しかし(1)は言うに及ばず、(2)も「50の枠に対し1500の申請があります」という“狭き門”とのこと。選び抜かれた人材が、第一級の講師やアドバイザーの元でアイデアを競い、それに留まらず資金を得て起業する仕組みがあるわけです。だからこそ応募も殺到するという好循環です。イノベーションを起こすために日本がシンギュラリティ・ユニバーシティから学べることは多いでしょう。

もう一つ、シンギュラリティ・ユニバーシティの中を見学していると、一枚の絵を見つけました(写真7)。複雑で分かりにくいですが、よく見ると失敗(Failure)に対する姿勢が描かれています。チャレンジに付きものの失敗をどう捉えるのか、そのあたりのケアもしっかりと行っているわけです。


写真7:シンギュラリティ・ユニバーシティのある部屋の前にあった一枚の絵。“失敗”に関することかが書かれている

さて、興味が尽きないシンギュラリティ・ユニバーシティですが、このままだと先に行けません。シンギュラリティ・ユニバーシティについてはひとまず終えて、次回はインキュベーション施設にスポットを当てます。

執筆者:田口 潤(IT Leaders)

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